E6.越谷の伝統野菜「クワイ」の収穫

E6.越谷の伝統野菜「クワイ」の収穫

クワイは別名を「田草」ともいい、湿地や沼地に自生していた植物。埼玉県東部の川沿いの湿原や水田は絶好の栽培場所でした。
1704年に貝原益軒(かいばらえきけん)が書いた『菜譜』の中に水辺でとれる野菜としてクワイの栽培方法や食べ方が記されており、この頃からすでに普及していたようです。江戸時代から埼玉では東部を中心に作られていましたが、当時はあくまでも水田の裏作。本格的にクワイ栽培が行われるようになったのは明治以降で、冬の野菜として稲作農家の重要な換金作物となりました。
さらに昭和30年代以降、デパートなどでおせち料理が販売されるようになると、クワイは芽が出ている形状から「おめでたい」食材としてさらなる需要が。
やがて埼玉県の生産量は全国1位となりますが、この頃から東京のベッドタウンとして開発の波が押し寄せ、農地の宅地化が進みます。残った農家も首都圏向けの一般的な野菜へと転換し、クワイの生産量は減少。平成以降は広島県福山市にその座を明け渡しました。

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